調査は、銀座の街頭で行われた。方法は、首相になってほしい人の写真(歩道上に3人の巨大な写真パネルを設置していた)に、通行人が丸いシールを貼っていくもの。もちろん写真パネルの前ではカメラが回り、シールを貼っている人にはマイクが向けられる。
つまり、この「支持率調査」に協力する人々は、
1. キー局の名前入りのカメラに全身を撮影されている状態で 2. インタビュー取材を受ける旨を容認し 3. リアルタイムでグラフ化されつつある人々の調査結果に、自分の意見となる丸いシールを写真に貼り付けるカタチで 4. 取材カメラを囲む銀座の衆人環視の中で
アンケートに答えていたことになる。
この種の、民放の情報ワイドがよくやる手法の街頭(釣り場に使われるのは新橋、秋葉原、巣鴨、六本木、それに渋谷のセンター街あたり)アンケートは、一種のパフォーマンスに過ぎない。
集められた「街の声」も、すべてが紹介されるわけではない。番組スタッフがセレクトした、「面白くて」「ビビッド」で、「トーンの良い」声だけが放送に乗るのだ。時には、番組制作者の「意図」に沿って、恣意的に編集される。そういうことになっている。
私自身、ラジオ局でADをやっていた頃、何回か街頭録音の仕事にたずさわったことがあるが、あれは実際にやってみると、どうにも不毛な仕事だった。街を歩いている人々の9割は、「ノーコメント」の声さえ返さずに通り過ぎて行くのだ。軽く右手を振り、あるいは、いぶかしげな流し目を投げかけながら、足早に、決然と、容赦なく、だ。
ラジオでさえこうだ。
まして、テレビの顔出し取材に応じる素人は、さらに限られている。
ヒマな年寄り、集団で歩いているコギャルさんたち、酔っ払ったサラリーマン……そういう、いずれにしろハイテンションな人たちしか、取材の網にはひっかかってくれない。
ということはつまり、この手の調査は、調査が開始した時点で既に「顔出しの街頭アンケートみたいなものにうっかり協力してしまう、ヒマ人のおっちょこちょい」というバイアスがかかっている、そういう種類の統計資料なのである。
物見高く、出たがりで、警戒心が薄く、軽佻で、口が軽く、足も尻も頭もすべてにおいてライトにできあがっている彼らの意見を、いくら丹念に集約したところで、それが平成日本の世論になるとは私は思わない。
おっちょこちょいのヒマ人、「世論」を作る:日経ビジネスオンライン (via boosted) (via mechiko) (via otsune
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全くもってその通りです。
(via nevergreen) (via termin) (via wideangle)